お達者くらぶ

今日は久しぶりにすっきり晴れました。ちびすけがお昼寝から覚めてすぐ、準備してベビーカーに乗せお散歩に。池で鳥に餌をあげ(ちびすけマイブーム中)、公園をフルコースで散歩し、スーパーでカートを押させ、帰路はもう真っ暗でした。午前中にもお外行こう!とシャボン玉して遊んだくせして、午後もまるまる思いっきりお外です。次にいつこんな晴れた日が来るかわからないので、フルに晴れた日を楽しみました。


公園でちびすけと二人カモを眺めていたら、向こうから歩いてきたおばあさんに話しかけられました。
最初はお約束通り「男の子?女の子?いくつ?」から始まって、
「私は一日一回この公園の給水塔から音楽堂の間までを歩くことにしているの。息子が一人と娘が一人いて、娘の子供が、つまり私の孫ね、3人いて6歳、4歳、2歳。私はB通りに住んでいるんだけどこの孫たちがS通りに住んでいるの(以降、かなり脳内意訳してあります)」
このあたりまでは何とか単語を追って、話している内容がわかったんですが。
「ところであなたお国はどこ?」
「日本から来ました(超例文読みで)」
「あぁ、日本!息子は日本に行ったことがあるのよ。えっと、、、サヨナラ?」
「えぇそうです、Auf Wiedersehenですね」
「私、5カ国語くらい勉強したのよ、ロシア語、ポーランド語、フランス語、日本語、英語」
「すごいですね!」
「昔は覚える必要があったのよ、私は今90歳なんだけどね」
「きゅ、90歳。お元気そうでとても良いですね」
「もうしわくちゃよ、目は見えにくくなるし」
「いやいや、元気が一番ですよ」
(うちの1階にも93歳のおじいさんが住んでいて、時々お会いするのですが、いつもお元気で「わしゃー93じゃー」といつも言っています。お年寄りが元気なのは何だか嬉しい)


さて、だんだんおばあさんのドイツ語が流暢になってきて(最初はきっと手加減してゆっくりはっきり話してくれていた)、この辺から内容把握が難しくなる私。受け答えも、ドイツ語変換がいっぱいいっぱいになり、英語で受け答えするのが精一杯なのに、おばあさんの話は流れるように続く、、、。
「昔はね、あなたはもうご存じないかしら、ドイツと日本は昔からお互い帝国で仲良しで、、、」


来ましたこの会話。以前、学会でもドイツ人研究者から言われたことがあって、その時は「だから俺とお前は今も昔も友達ってことさ!」と締め括られたのですが(何だそりゃ)、この感覚って日本にはないですよね。日本人ならこういう場合、戦争の記憶は遠くに追いやって触れないのが普通な気がします。それが、反省の態度のような気がしている。けれど、ドイツ人の反省はひょっとすると日本人より深いと思われるのに(ご存じのようにホロコースト否定は法で禁じられています。日本での歴史修正主義は眉をひそめられこそすれ、その主張は言論の自由で保障されていますよね)、戦争をせざるを得なかった自分の国を、今も普通に会話に盛り込むことができる。この違いって何だろうと思います。


さて、10分くらい話していたでしょうか、たくさんしゃべって満足したおばあさんは私に握手とハグを求め「Auf Wiedersehen, meine kleine」とにこやかに去っていきました。、、、私、今日は逃げずに「聞き取る」をテーマに健闘したと思います、、、が、やはりまだまだですね。


おばあさんと別れた後、雑貨屋に寄る用事がありました。先日買ったのが不良品だったとクレームをつけ、新しいのに交換してもらうという難易度の高い任務だったのですが、これには最初から逃げを決め込み、ノートに文章を書いていき店でそれを見せただけ。へたれです。無事に取り替えてもらえたので良かったですが。そりゃ、ノート(カンペ)を読まず、がんばってみようかと最初は思っていたんだ。けど、おばあさんと会話できたので、今日のドイツ語はそれでいいかなと思ってしまったんだ。
今日は、親愛を込めた年少への呼びかけがmein kleinだと覚えました。でもドイツで私がこれを使える相手はあまりいない。なので、ちびすけに何度かそう呼びかけてみましたが、返事をしてくれませんでした。今日は以上。